そう考えるようになったのは(愚痴的な?)
ここ数年、7月8月は毎年辛い。
なんとかここを乗り切ることが私の目標のようになってきている。
そのため、9月にカミーノ行きを(発作的に?)決めているような節もある。
9月のカミーノ出発に向け、気をそらせるのだ。
夫が倒れた7月と旅立った8月から。
私のスペイン行きを知って、
『まったくもうあんたはお気楽で(独り身だから)いいわねぇ〜(こっちは夫子供の面倒で大変よ)』
と言った人がいた。
そういうことを言われるのはもう慣れていたけれど、そして今までの私なら多分、笑ってやり過ごしたんだろうけど、
わざと、言ってしまった。(オトナの対応しきれなくてごめんなさい)
この時期フラッシュバックとか酷くて、日本にいても辛いだけだから。
だって私からすれば夫がいて子供がいて面倒をみれることの出来る状況って天国以外の何ものでもないよ?
夫と子供の面倒がみれて、お気楽でいいわねぇ〜
って返されたら、どんな気持ちになるんだろう?(もちろんここまでは言わないよ)
。。。。。。
そして、仕事先で、まあいわゆるお客様という立場の人に、
『あなたはどうせ毎日ここに来てそうやって笑っていればいいんでしょう? 悩みなんてないんでしょ』
と言われた。まあ笑顔は大事な職種だし、顔面に笑顔を貼り付けてはいるけれど(笑)
この人の言葉の裏には、
私には悩まなければならないことがたくさんあって、あなたみたいに毎日毎日へらへら笑ってここへ来てるだけでお金もらえて生きていける、そんな気楽じゃないの! といったことが隠されている。
自分がそう見えているとしたら、私は成功しているということなんだろう。
唯一無二の人を失って、その破壊力はものすごかった。
もう毎日毎日そのことしか考えられなくて、それは今もそうで、それを理由に甘えちゃいけないとか考えたり、もう無理だと何度も思ったり、でも、お気楽極楽呑気な女に外から見たらそういう風に見えているのだとしたら、私はグリーフに成功しているのだろう、きっと。
それでも。
夫を亡くして、夫と住んだ想い出の家を手放して(誰にも頼らず1人で売買の手配をし)、この歳で仕事も辞め、夫と過ごした想い出の土地を離れ、
知らない場所、知らない人たちに囲まれ、今、新たにひとりで生活している私の裏の状況を知ったら、それでもこの人は自分のほうが大変だというのだろうか?
不幸自慢をし合っても意味が無い。
それでもいちいち傷ついてしまう。
そんな自分がイヤだし、変えたいとも思うけれど。
人間は経験してみないとわからない。
自分の視点でしかモノを言えない。
想像して、推察して、相手の立場にたってモノを言える人になりたい。
そう考えるようになったのは、夫を失ってから。